TEL:075-874-7938

トリックアート ブログ

トリック・アートの気まぐれなつぶやき~歴史斜めに読み解く其の②光秀の功績:周山城とは?編

えーと、ここまでざっと書いてこれからのことを考えて


まとめておさらいしてみて、ハット!,気づきました。自分が思い描いた内容をストレートに文字表現にするのはまずいと思い留まりました。

つまり、これによって、ある特定の団体・組織やさらには個人に不興、誤解、反発を生じるのではないのか・・・と思った次第です。

こちらに全くそういった意図や考えはなくても一旦文字や言葉に出た場合、相手にそのような感情を抱かす可能性が、万分ノ一でもある場合絶対的に控えるというのが、大人の社会での暗黙のルールであるわけです。


迷った挙句数人の知人に相談、先ほどの「山背」の知人いわく「それ、あんた、杞憂ですわ!」と一笑されました。念のためベテランマニアの先輩にも聞いてみたところはっきりとはおっしゃらなかったですが「やめたほうが、ええかも・・・」とのことで、ここはおとなしく、ベテラン先輩に従うことに・・。その結果、内容が表面的に薄っぺらに無難になるのもやむなしと判断しました。イヤッ、とんだ、脱線を・・・言い訳か?

さて「周山城」は今ではほんの少しの遺構しか残ってはおりませんが、レッキとした、光秀築城の巨大山城です。その規模壮大さは、日本三大山城の「美濃岩村城」・「大和高取城」・「備中松山城」をはるかに凌ぐ
ものであったと思われます。おそらくは、あの信長自慢の巨城「安土城」に匹敵する壮大なものと思います。築城完成は「本能寺の変」の2年前の天正8年。

大体の場所は、そうですね・・西大路通を真っすぐ北に向かい、金閣寺をすぎると、しばらくで北大路通りにぶつかります。そのまま北に突っ切ると「「周山街道」に入ります。狭い行き違いの道をいき周山リゾート(昔はボーリング場でしたが)を右にみてしばらく行ったところですかね。正確な位置は残された資料が余りに少なくて正直わかりません。とだけ申しあげておきます。


もし、この城がきちんと現代に完璧に修復・再現された場合、亀岡方面からの霧の流入のおかげで、「京都にある壮大な天空の城・ラピュタ!」として大評判になることでしょう。万一、「世界遺産」に採用されることにでもなれば、世界中から大勢の観光客が押し寄せるにちがいありません。


嵐山や二条城をはるかに凌ぐ京都の一大観光資源としてその価値は限りなく大きいものになるでしょう。
きっと、京都市民・府民・ひいては日本全体に莫大な利益をもたらすに違いありません。これが、私が
光秀さんを京都の大恩人と思う理由のひとつです。
も一つこの「周山城」というのに実実は重大な秘密が隠されていると思うのですが、それはまた後程・・・。
さて、


次回は冒頭に歴史教育に問題あり!と申したこと の回収をせねばなりません。ここで、「歴史教育」を「歴史研究」と訂正させていただきます。決っして「教育」ではございません。
つまり「問題あり!歴史研究」です・・・・・続く

-トリックアート, ブログ
-