Howdy! 夢旅チロルです。
今回はそう、題名通り昔ばなしについて不定期に語りたくキーボードを打ちました。メニューはオハナシ、考察の前後編。フラットな話し方でいきますのでよろしくお願いします。 さて、では一発目から強烈なヤツをいきますよ。特にこれからのテーマと、深く関わりがありますのでね。 それでは、むかしむかしのおはなしを、ゆったりお読みください。
◎子ども裁判
むかしむかし、どこでも起こりえる話です。
あるところに、なかよしの小さな子どもたちがいました。毎日いっしょに仕事を手伝い、野原を駆け回り、ごっこ遊びをしていました。ある日のことです。
「なあなあ、今日は『肉屋ごっこ』しようぜ!」 「お肉屋さん? おもしろそう!」
みんなそのごっこ遊びの考えにやんやの賛成です。さっそくみんな、どの役をするのか決めます。
「じゃオレ肉屋の大将!」「私、お肉買う人―!」「待ってぇ、肉屋の弟子やりたーい!」「あっ、ボク…牛と豚のどっちがいいかな?」
「・・・タイヘンだタイヘンだー!!」村長の家に、大人たちがなだれ込んで来ました。「うわっ、なんじゃお前ら! ……どうした?」大人たちのすごい顔に、村長びっくり飛び起きて、まあ、とりあえず、落ち着きます。
「子どもたちが、友だちの腹をさばきよった!」「えっ」「こ、子どもたちがごっこ遊びって言って友だちを…」
村長は息せき切ってあわてる大人たちを、まあまあと落ちつかせ、ひと通り話を聞きました。何がなぜそうなったか、話をまとめます。確かにタイヘンな事件です。これから村や子どもたちをどうするか、相談しなければなりません。
「ごっこ遊びでも人殺しだぞ」「2度と起きんよう、子どもでも裁判にかけるべきだ!」「これから家畜は外でさばいてもらうか?」「そんな手間な。つーか、子どもを牢に入れて吊るのか? 子どもにあれやこれを見せずに育てるのはムリだ」「子どもはまねごとをして学ぶんだ。子どもでも、許されんことはあるが…」
話し合う間、子供たちはわけもわからず、別の場所に集められていました。村長は大人たちの話を静かに聞いていて…そして、すっくと立ち上がりました。
「わしに考えがある。わしが裁判官をやるから、その子たちを連れてきなさい。あまり、緊張させぬようにな」「は、はあ…村長が、言うなら。子どもたちを、よろしくお願いします」
村長は子どもたちの人数分、りんごと、金貨を用意しました。奥さんや召し使いには、子どもたちにふつうに振るまい、1人ずつ自分の部屋に案内してほしいと頼みました。 やがて、子どもたちが連れてこられたのです。
「村長さんからジキジキにお話だってー」「大事な話だよねえ」
「よく来たねえ。これから旦那がね、みんなにそう、だいじな話をするわ。召し使いさんが一人ずつ連れて行ってくれるから。いいこと?」
奥さんの言葉に、ぺちゃくちゃしゃべっていた子どもたちは「ハーイ」「わーい」と元気に返事をします。そして呼ばれた子は、村長の部屋に入りました。村長は「よく来てくれたね」と、用意していたりんごと金貨を取り出します。
「わしの話もつまらんだろうに、ありがとうな。さあ、どっちかあげよう」「わー! ありがとうございます~!」
さて。
子どもたちはみんなニコニコ、もらったりんごをムシャムシャ食べたので、村長はあらためて子どもたちみんなを部屋に集めて、ていねいに優しくとてもきびしく注意をして、家に帰したのでした。
それからというもの、村の子どもたちはみんな、誰かにケガをさせないよう気をつけて遊ぶようになったということです。
これはグリム童話が一番はじめに「子どもと家庭のメルヘン集」として世に出された時のおはなしです。二版目からはなくなりました。そもそも著者のグリム兄弟は、これを学問書として出したのですが、のちに子供に読み聞かせる童話本として書き換えられていったのです。それは、また別のおはなし。
ではこの話の、「なぜ村長はりんごを選んだ子供たちを許したのか」について考えていきましょう。主に私が。
「子供」「大人」っていくつだろう?基準はどこでしょう? この時代の大人は今より若く、小さな大人、として見られたこともあったそうです。小さな子たちはごっこ遊びやまねごとをして、本番ができるよう学び育ちます。ヒーローがいるなら悪役もいる。危ない悪いまねっこもある。だけど、悪気を持ってやるにはまだおさない子たちもいる。今回のように。
村長は、食物と財産を並べて、子供か大人かを見比べたようです。
金貨は財産、大人の象徴。 人々が成長して覚える知識には善意も悪意も濃く含まれましょう。その善悪を区別する知識が明確にあるなら「人を傷つければ死ぬ、傷害や殺しは悪い」と知っているはず。 裁判は良い悪いをはっきり分けます。でもそれは大人の基準です。
食べ物は本能、子供の象徴。 道徳とか、倫理とか。略して道理。 それは、大きな人たちが、小さな人たちに後付けで教える考え方です。それ以前は、食べる、動く、寝る、楽しい、気持ちい、みたいな、動物にもある考えをいちばんに行動するものですよね――赤ちゃんだって、手伝ってもらいながらも、そうやって生きています。
彼らは、「『大人』ではなかった」ということになりました。で、叱られ、反省して、「気をつけて遊ぶ」ようになったのです。
少し話は戻りますが、二版目からこの話がなくなったのは、「この話は子どもに悪影響がある!」と親がゴネたから。
グリム「大人向け学問書のつもりで出したんだけど」
貧乏だったので、より『親』に売れる『童話集』としてシフトすることにします。せちがらいね。グリムくんも「本のはなし真正面から受け止める子は根っから何か違う」「うわさ話や口伝いの話もある」「本の内容好きに言い換えて話せばいいよ」と主張しましたが、かなしいなあ。
『おはなし』は、本来自由自在に形を変えるものです。
話す側の時代、土地柄、伝え方。聞く側のトシ、聞く場所、考え方。
今でもたくさんの物語がさまざまにカタチを変え、すがたを変え、私たちに何かを伝えようとしてきています。 童話や昔話も、ずっと昔から形を変えて今まで伝わってきました。増えたり、消えたり、思い出したり、見直したり、混ざったりしながら、ね。
だから、昔ばなしにもそうしていいんです。 私は、こどもは最後の一言メッセージを、若いひとは人を許す難しさと大切さを、おとなは選択の意味を学んでほしいと思いました。あなたは、この話をどう受け止めましたか?どう伝えますか?
童話とは何か。
昔話とは何か。
改めまして、そんなことを夢旅チロルが好きに話していこうと思います。 よろしくお願いします!
参考:グリム童話を語ろう
そうそう、日本でも同じような話があるそうです。あらふしぎ。人間って住む世界が違っても、同じようなことを考えるのかもしれませんね。あと私は小6くらいでクリスマスツリーに『5000円ください』って書いてた。吊られるかどうかは…時と場合による。タスケテ
20.9月.9日投稿 修正:21.2月.9日