「旅は、いかがだったか?」
「……歓迎しよう」
「そなたらは、明日を望み、ここへ来たのだろう。何がために、明日を望む?」
「立ちはだかる数多の敵を退け、そなたらは、ここへ来た。……それもよかろう。世の中に、善悪などない。ひとえに、自らの信じたことを為すしかないのだ」
「そなたらは、一点の曇りもなく、言えるか? 明日が、望むべきものだと……」
表現技法が広がり、「されどゲーム」の時代。彼らは様々な物語を紡ぐようになり、そしてそれは様々な“問題”を抱えるようになった。
あ、“エラー”じゃない、“クエスチョン”だ。
多くの場合、ゲームの主人公━━操作キャラクターが、他の登場人物から、何か重要な質問を提起される。それに対して答えを出す…その世界でのみ通じる問いに見えて、多くは現実にも当て嵌まる問い/解だ。
『プレイヤー、それを傍観するだけでいいのかい?』
私は思ったんだ。 せっかく長い時間を共にし、主人公と彼らの物語を最も傍で見てきたはずだ。仲間として、あるいは本人と宣えるほど「私/プレイヤー」も、投げかけられる問題に解答してみようと。
これは、没入感の強すぎるとあるゲームプレイヤーが、
とあるゲームでの質問に答えるため、
思考を右往左往し、答えた書き散らし。 …の改稿版。
━━ゲーム名は伏せるが、
根本的展開ではあるのでネタバレ注意かもしれない。
と言いつつ、サーチに引っ掛けるために一番下にゲーム名を書いておく。
〜 あらすじ 〜
主人公が冒険する世界は、暗躍する者たちによって『明日を迎えない“夜”』が続くようになってしまった。
時が止まったわけではなく、『今』が進まず停滞する世界。
主人公たちはついに、暗躍する者たちを追いつめる。暗躍者は彼らを嗤い、問いかける。
「自分たちは、『明日』を望まぬ者」
「なぜ明日を望む? 一点の曇りもなく言えるか?明日が、望むべきものだと」
“私”はなぜ『明日』を望むだろう?べつだん特別なことのない『明日』なら?
主人公が答える前に、私はゲームを一度スリープに落とす。
━━“私”の迎える明日はなんだろう。迎える意義はなんだろう。
時折思う。今日が続けばいいのに、と。
それは『今日を終えて明日を迎えたくない』という絶望とは違うものだ。(もちろん、そう考えることもあるし、その想いも肯定する。この物語が実現してしまったように)
「最高に楽しい“今”が永遠に続いてほしい」。その時が昼か夜かに限らず、幸福であり続けたい欲求。そんなことを望むこともある。
目を閉じ、眠りにつく時、何を考える?目的とする? 否や眠り休み思考をリセットしたいだけなら、目覚めた後は“明日”である必要はない。眠りの次は明日ではない。
━━例えば、愛読書曰く、
昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。だから今日もひとつずつ賢くなる。そしてそれを何十年と積み重ねれば、ものすごく賢くなっている。
この歳になれば得るたびに…いや得なくても体から何か失われていくけれど。かなしいね。
人はいつだって日進月退。
進む時さえ這いずるように。
退く時すらじりじりと、
動くことが、活きる(行動する)ことが、人間以上の人生なのだと。例え誰かに泥濘に見える方に落ちるとも、動く行為そのものに尊卑善悪はない。
目的に向かうならば、その痕はどこかに残り、時に人の進んだ痕や…人を轢く。
『己が生きたことを証したい。
『己は生きていると認めさせたい。
この欲望の連鎖は、醜く暗い奪い合いを生み出したりもする━━。
「今日なにか、いいことあった? 3つ、言ってみて」
━━例えば、ある人たちは言う。
なら印象のいいことは、1日3つくらいだ。それ以上の数、素晴らしいことがあっても、記憶から取り零してしまう。
特に私は体が弱いから━━、
そのくらいの数がちょうどいい。
そして私は馬鹿だから━━、
ひとつ悪いことが起きたくらいで、寝ても覚めても駄目な日になってしまう。
幸せな今日を続けたいのと同じくらい、駄目な今日を打ち切りたい時もある。だから、“嫌なこと続きの今日”をやめにするために、“明日”に期待する。
その程度には私……、強いから。
私は人より、ずっと休み休みで進むんだ。
一日にたくさん、嬉しいコトも、悲しいコトも、感じ取るにはキャパシティオーバー。
『300文字』ずつ区切りをつけて進んでいくの。
それを次の日にひとつ、 重ねてななつ、 やがて山のような日々を見てひとりほほえむ。 私のやり方の蓄積の山。
それを誰かが見て、嗤われたり、解られなかったり、訝られたっていい。下の方の記録は、きっとくしゃくしゃになっていて…。
━━ああ、そうか。
私はきっと、今の『私』をやめるために
…変えるために
『明日』を望むんだ。
山を見上げてほほえむ。
でも山のぜんぶ、見返すわけじゃなくて。積んだ山に雪崩を起こされ、押し潰されたりもするなら。
なら山は、『今』を築くに十分な量があればいい。
『昨日のメモ』と『今日のメモ』の次に、『明日のメモ』を積むために、たびたび背伸びすることない。
『半年前』を掃いたっていい。
世界中のみんな、どうか
変わっていって。