ここで、戦国時代を代表する最強の二人の武将・大名、織田信長と武田信玄の関係性から、本当の将の器とは何か?を読み解きたいと思います。
前にも申しましたように織田家と武田とは犬猿の間柄ではなく、むしろ信長は信玄を憧れをもって崇敬していたと思います。
軍兵の専門性を追求し鍛錬する(騎馬隊・槍隊・鉄砲隊etc専門部隊の創設)などいずれは軍兵としての専門職業創成=兵農分離に発展する新しい身分制度社会の改変へとつながる信玄の軍法の斬新な先見性など大いに参考・取り入れております。
そういう中、あの四郎勝頼の正妻の世話まで信長は焼いております。
縁戚関係であった美濃遠山氏(有名な江戸北町奉行・遠山の金さんのご先祖)の娘を一旦自分の養女として勝頼に嫁がせる縁談を信玄に持ち込んだり、度々自慢の鷹を贈ったりして両家の親展に気遣っております。
そういう中、越後・上杉氏との北信濃抗争が始まり、相模北条氏・駿河今川氏との悲願の「三国同盟」の制約を信玄が纏め上げた直後、今後の武田家の路線を決めるべく開いた重臣会議の席のエピソードです。
参集した面々に信玄から「三国同盟が成った今、唯一の敵である越後の上杉へ攻め込むべく北信濃に侵攻し川中島あたりで上杉謙信との直接対決に望むか?それとも一転美濃から尾張へと侵攻し織田家と敵対するか?いずれか思うところ述べよ!」と試問します。
同盟婚から今川家の娘を新妻に迎えたばかりの信玄長男の太郎義信は真っ先に「長年織田家は、今川家と敵対しております。当然織田家に進行すべきです。」と即答します。
「しかも織田家当主になったばかりの信長は大うつけときいておりますので、簡単に尾張など攻略できましょう。」
他の重臣の飯富・馬場・真田なども同意見で「義信様の申されるとおり、尾張のうつけなどひとひねりで潰せましょう。」と具申します。
しかし、信玄の顔つきは賛同するどころか暗く沈んでいるように見えました。以外な主人の反応に場は膠着します。おもむろに、信玄はそばにいた重臣の高坂弾正に「いつものあれを、ここに持て」と命じます。「はっ!」と返事した弾正が皆の目の前にうやうやしく持ち出したものは・・・
小さな漆塗の文箱でありました。一同は「何事か?」といぶかって沈黙しておりますと、信玄はさらに弾正にその文箱の蓋をとり蓋の裏を面々に見せてから「蓋の裏板を一枚・一枚剝がして皆に見せてみよ」と命じます。一同は、常日頃の戦場での大胆な戦略をもって鬼の形相で部下を叱咤激励する主人とは「文箱の分解など」と余りにかけ離れた繊細な行動にあっけにとられておりました。
やがて弾正の手で分解された、文箱の裏板一枚一枚全てには表面と同じ何重も丁寧に漆が塗り重ねておりました。
「皆、これをよく見よ」と上機嫌で小さな漆細工の板を裏表を手に取りいつしんで喜びの顔でいる信玄を見て
「いよいよ親方様も耄碌さてたか・・・」と心の中で重臣たちは黙りこんでおります。
「皆も,よく見たであろう。これは織田信長からの勝頼の縁組を知らせる文箱じゃ。確かに上辺は綺麗な漆塗りの他愛もない文箱ではあるが」
「このように、文はもちろんのこと、裏蓋の一枚・一枚にも手を抜かず、丁寧に相手への誠意を示すことこそ寛容である。」
「これぞ、外交の鏡である!」
「人をもてなす、とはこういうことじゃ。」
「わしは信長からの親書を楽しみにしておる。来る箱には全て同様の細工が施されておる。一度も欠けたためしがない。来るたびに弾正に命じてこうして検めておるのだ。」
「たしかに今の織田信長は小国尾張の一当主ではある。当家と皆が本気で戦えば、ひねりつぶすことは出来るかもしれん。」
「世評では信長のことを義信が申したように、尾張の大うつけとの噂じゃが、わしはそうは思わん。「かような些細なところまで、きちんと目の効く男である。何れは、唐土・春秋の≪楚荘と伍挙との対話≫に見る如く、今は一小国のうつけであっても全国に覇を唱える大器になる末恐ろしい男であると、わしは思っておる。」
「それゆえ、織田には手出し無用である。軽々に攻めては必敗は必定である。」
と「孫氏」はじめ、中国の古典にも明るかった信玄は「春秋」のエピソードを引用して皆を戒めて説得します。会議が終わり、弾正と二人になった折に「それとな、この前の三国会盟で、全く同じ話を今川公と北条氏康公に話した折、義元殿は、「尾張の大うつけなど取るに足らん」と相手にされず一笑されたが、氏康殿は大いに興味を示されて、信長の日頃の行い・習慣・趣味・趣向・性格や声の出し方まで聞いて来られて正直返答に困ったわい。」
「実は、このような義元殿の高慢な振る舞い、何れは足元を抄われはせんかとわしは、密かに心配しておるのだが・・・。」
「それに引き換え、北条殿の慎重さよ!」と二人の同盟大名の人物評を吐露します。
「それにつけても我が義信の器量心配である。武田の行く末、どうかよろしく頼む、弾正。」との言葉を残しこの日を終えました。
まさに、将は将を知るのエピソードでした。
・・・この項終わり・・